島田 熊野神社境内の柿本大明神

柿本大明神は合祀後七十数年を経過、
その間は特定の世話人が護持に努め
てきたが高齢化を理由に、熊野神社
に護持を依頼された。
その時点での大明神は崩壊寸前の状
態であった。
氏子の大明神改築の理解を受け、
平成二十三年落成式を迎えることが
できた。
島田湊山の柿本大明神


注進案・熊毛宰判・嶋田村の冊に「湊山之内
胡崎、松木造、九尺四方瓦葺き建立年不明」
とある。この社は元、光井村鯉川地区に(島
田川の河口左岸)湊山にあったものを、昭和
十四年光海軍工廠創建の時、現島田市上町の
熊野神社に移され合祀された。今、神社の本
殿奥に松浦神社その右に柿本社がある。扁額
に「柿本大明神」とある。祭日は春四月二十
六日、秋九月一日、土地の人の話によると、
人丸さんは姫路(明石?)からの勸請という。
   山口県周南の人丸社(山村律次)より


湊山中腹には歌聖柿本人麿呂を祀る人丸様
が鎮座し、産土神として崇敬されていた。
人磨呂は、大津郡旧菱海村に留まること三年
大和への往復に舟航を利用しており、この地
も来航したのであろうか、県下十四社の人丸
神社の内、光市に五社が集中鎮座している。
農漁業に関係のない神を祀るのはそれなりの
由縁があったものと考えられる。

 ふるさとの写真集(古野秀夫編)より